神楽とは、御神前で奏する日本古来の音楽・舞のことで神代の昔、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天磐屋(あめのいわや)に御籠りになった時、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が神懸かりして舞を舞い、手力男之命(あめのたぢからおのみこと)が力ずくで天磐戸を開け放ち、天照大御神を再び御出座し願い奉ったのが始めであるとされ、神道上頗る神秘な神態(かみわざ)とされてきました。

神楽には、宮廷で行われる宮中御神楽(雅楽)と、一般の神社などに伝わる里神楽があり、里神楽は民間に於ける俗楽で、雅楽に対しての民間の楽という意味であり、各地方ごとに特色のある神事として発達してきました。獅子舞や火舞等もその一種です。

本来神楽は、神様に見て頂くものであり神社の斎庭に注連縄を張って行うか、或いは拝殿等で行いました。この形式のものは今なお多く残っていますが、神前で奏する純粋な久志備の神事から、次第に参列者が拝観するものとなり、神楽殿という神楽を奉奏する為の施設が設けられるに至って、人々に見せる娯楽的・神賑的な意味のものに変わってきました。

しかし、神道祭祀の上では最も重要な神秘的・霊異的要素として伝えられています。
鷲宮神社に伝わる御神楽は伊勢神楽の流れを汲む、依田流太々神楽(よだりゅうだいだいかぐら)といい、神社焼失・洪水等により歴史は定かではありませんが、鎌倉時代幼い頼家公がとりせき(百日咳)を患った際母親である二位尼君(政子)が鶏肉と卵を断って鷲宮神社の御神前に祈願をしたところ無事病気が回復したとされ、その御礼にと正月初酉の日、佐々木四郎高綱を使いとし御神馬と舞を奉納したと伝えられています。

その後、壱組十二人講という祈祷講社により継承されてきました。
現在は保存会が結成され、平成3年に都賀町指定無形文化財の認定を受け、平成5年には文化庁移動芸術祭協賛公演第35回関東ブロック民俗芸能大会に、栃木県代表として出演するという栄誉も頂きました。TONAN50選にも選定され、栃木県郷土芸能大会や各種イベント等に多数出演する他、老人ホームへの慰問にも積極的に取り組む等幅広い活躍をしています。

保存会は渡辺繁会長のもと、事務局に早乙女和重氏を配し、大人13名・子供10名(小学2年生から中学3年生迄)の合計23名で組織されています。