の語をあて用いたのでしょう。
マツリの語について、本居宣長は古事記伝に、「祭事(まつりごと)と政事(まつりごと)とは同語で、その語源は奉仕事(まつりごと)から来たのであろう。天皇に仕え奉ることを服従(まつろう)と言い、神に仕えることを祭りと言うも、本は同じである。」と説いております。
すなわちマツリというのは、人が神霊を招き鎮め、不浄を避け慎んで、お側近くにかしずき、御接待申し上げて慰め奉ることです。ですから、マツリには精神上の恭敬と形式上の厳美との両方を兼ね備えなければならないわけです。
かくて、人が真心を込めて祭儀を行い神に接すれば、もともと神と人は同じ性質の御霊(みたま)を持っているのですから、神はその真心を感得せられ、神と人とは近づき交わり、神は慈しみを垂れて守り・恵み・幸わって下さる。
すなわち人は神の心を心として、清く正しく直く楽しく、その生活を通じて社会の向上発展に尽くすことができるので、これが祭の目的とするところでもあります。
近年何にでも安易に「〜まつり」と付ける傾向がありますが、『まつり』と『イベント』の違いというものを良く理解しておいてほしいと思います。
Q.例祭とはどんな祭りのことですか?
A:例祭とは、その神社の恒例として、1年に1回執行する祭儀で、神社の祭りの中でも最も重要な祭典とされています。その期日はおおむね、御祭神に縁故のある日とか、その神社に因縁のある日を選んで定められてあるので、神社によって日が違います。従って、特別の事情が無い限り、その期日を変更すべきものではありません。
近来、例祭日を土、日曜日にしようとする傾向が各地に見られますが、各神社の尊い伝統を、単なる思い付きで改めるのは慎むべきことで、ぜひ改めねばならぬ場合も神社本庁の承認が必要です。 |
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Q.祈年祭(きねんさい)とは何ですか?
A:祈年祭はトシゴイノマツリとも訓み、トシは稲の意で、すなわち稲種を蒔く季節の初めに当たり、その年の五穀豊穣と国家国民の弥栄とを神々に祈る祭で、秋の新嘗祭と相対する極めて重要な祭典で、一般には春祭りとして知られています。
その起源は明らかではありませんが、神代の昔、大地主神(おおとこぬしのかみ)の作られた田の苗を御年神(みとしのかみ)が祟って枯れさせようとした時、大地主神が白馬・白猪などを供えて御年神を和め祭ったので、苗は再び茂ったという伝説が古語拾遺に見えています。公事根源(くじこんげん)には、天武天皇四年に官祭としてのこの祭りが始まる、と見えています。いずれにしてもこのお祭りは、遠く農業が始まると共に行われてきたものと考えられます。
日本書紀に見える祟神天皇の詔に「農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり。」とある如く、農業は我が国産業の基幹で、その消長は直ちに国力に響いてくるのでした。
したがって古来農業人が最も大切な経済戦士として重んぜられたことは、山部(やまべ・狩猟を職とする部族)や海部(あまべ・漁業を職とする部族)に対し、農業部族を意味する田部(たべ)という語が、すべての国民を意味する民(たみ)の語源になったこと、田族(たから・田部の人々の意)が大御宝(おおみたから)となって国民の総称を意味するに至った事でもわかります。
されば、五穀の豊作を祈るこの祭りは、単に農業関係者のみの祭りでなく、工商漁鉱のあらゆる産業人が、その職業を通じて国家社会の進展に貢献することを祈る意味に拡大して考えるべきものだと思います。
しかも昔は農業技術も低く、農薬なども無かったので、数年に一度は凶作に見舞われ、ワラ餅や彼岸花の球根で生命をつないだ人もありました。国民の生活を念とされる天皇は、洪水旱魃のたび毎に神社に祈願されましたことは、国史に明らかなところです。かように苦労した先祖の血を受けて、今の世に生を得ている我々ですから、農業技術が進み食生活に恵まれていることを、神々と先祖に感謝する祭りとせねばならないと思います。
Q.新嘗祭について教えて?
A:新嘗祭はニヒナメノマツリと訓みます。ニヒナメは新饗の義で、新は新穀、饗は御馳走の意を持っています。つまり、春の初めの祈年祭に五穀の豊穣を祈りましたが、神様の恵みによって今やその収穫を見るに至ったので、まず新穀をお供えして、五穀の悠遠な根源を顧みるとともに、広大な神恩を感謝する為に行うのが、この祭典の趣旨で、普通は秋祭りと呼ばれています。
稲は南方の原産で、これが支那・朝鮮を経て弥生時代に日本に伝わったものであろうとされていますが、日本の神話では、神代の昔、豊受大神が五穀を発見せられ、天照大神に献上されました。すると天照大神は「こは顕(うつ)しき青人草の食いて生くべきものなり」と仰せられてご嘉納になり、天の狭田長田に栽培せられた、そして皇孫瓊々杵尊(こうそんににぎのみこと)を日本列島に降臨せしめ給う時、随従の二重臣に対し「これは皇孫の御支配なさるべきものであるが、汝等はこれを栽培して天業を翼賛し奉れ」との神勅を下し、御手ずからその稲種を授けられた。これが我が国の農業として発展してきた根源である、と伝えています。
従って、古来我が国では皇室も国民も、五穀を神の賜物として尊重し、新穀を得るたびに奉謝の祭典を行ってきました。しかも豊作だから感謝するというような、そろばん勘定ではなく、たとえ僅かの収穫しか得られなくても、これ神恩と奉謝するのが神ながらの美風だったのです。 |
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Q.地鎮祭にはどんな意味があるんですか?
A:地鎮祭は、その土地の霊を鎮め祭る儀式で、とこしずめのまつりとも申します。
万物には霊(生命)があるというのが、日本人の物の考え方ですから、土地にも霊を認めます。国というような広い地域の霊を国魂(くにたま)とよび、建物敷地などの土地の霊を大地主神(おおとこぬしのかみ)と申します。そこで建物を構築しようとする時、まずその敷地の主である大地主神に御挨拶する訳ですが、ついでにその土地に深い関係を持っていられる向きにも御挨拶をします。すなわち、その土地を守っておられる産土神(うぶすながみ)や、その土地にかつて住んだ故人の霊とか動物の霊に対してもお供え物をして、どういう理由で、どういう工事をしますから、御了解下さって御守いただきますようにと御願いするのが、このお祭りです。
明治以降物質文明の進歩に連れて、日本人は古来の精神文化を失いつつあるといわれています。神や仏の存在さえも忘れたり無視したりする人が多くなりました。お金を出して買えばその土地は自分のものだと思い、登記をすれば法律上の所有権も確定したと安心します。でもそれは物質上のことで、精神的に見れば、その土地の本来の主である大地主神や、支配者である産土神や、執念を持っておられる霊魂に対しては、何の挨拶も済んでないわけです。
その結果不思議な禍いを招くもとになりましょう。
Q.直会(なおらい)ってどういう意味ですか?
A:ナオライはナオリアイの約で、ナオルとは平常にもどる意味です。お祭りに奉仕した多くの者が、そのお勤めを終わって平常に戻ろうとする時に、神様の霊を身に受けようとする。これが直会の本義です。1度神様にお上げした神饌には神霊がこもっていますから、神霊を我が身にしっかり受け入れる為に、お下がりの神酒や饌米を食べるのが直会の行事です。直会をする人数の多い場合には、神饌だけでは足りませんから、いろいろと他の料理を添えることになり、従って直会といえば宴会という意味に誤解されるようになってきましたが、宴会すなわち直会ではありません。されば、直会に他の料理を出す場合にも、お下がりの神酒、饌米をいただくのを中心と考える必要があります。
今日でも神社によっては、厳重な直会の儀式を伝えている所もありますが、そうでない場合でも作法としては、手をひとつ打って両手で酒盃を受け、三口にいただくのが普通で、この拍手を礼手(らいしゅ)と称します。
Q.注連縄(しめなわ)にはどういう意味があるんですか?
A:注連縄は、良く見られるように、神の鎮座しているところはもちろん、神聖とみられる場所には必ず張られています。
また、神体とされる神木や磐座(いわくら)とされる巨岩などにも良く見られますが、一般には神前または神聖な区域などに掛け渡し、内と外を隔てて不浄に触れさせない為に用いられるものなのです。
神話では、天照大神を天の岩戸からお迎え申し上げた後、ただちに天の岩戸に尻久米縄(しりくめなわ){=注連縄}を引き巡らしたとあります。これは、岩戸から出た大神が再び中に入れないようにする為です。また、注連縄を張り巡らした所は立入り禁止あるいは神聖な場所であることを示す標識の意味をも持っているのです。
尚、お正月の注連飾りに、伊勢エビやダイダイ、コンブ、串ガキなどを飾り立てるのは、食物の豊作を祈念する風習からです。
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